おめでタイガーな寅年年賀状イラストと、思うこと少し。

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あけましておめでとうございます m(_ _)m

久しぶりの記事、アンド今年最初の記事は新年のご挨拶を兼ねつつ、寅年年賀状イラストのことザックリと、思ってることを少し。

 

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今年も一応間に合った…のか?

昨年は母の喪中ということもあって年賀状は書かなかった(描かなかった)んだけど、いつもギリギリで、今年もとりあえずギリギリながら間に合った…

というか、確か「12月25日までに出せば元旦に届く」のはずだった?から、26日に出したってのは厳密に言えば間に合ってないのかな?

 

大したことしてないのにやっぱり12月はなぜか忙しくて、年賀状イラストもずるずると後ろにずれていく。

今年はちょっと個人的に色々あったりもしたのでなおさら忙しくて、正直

「今年は描くのやめようかな…」

って思いが一瞬心をよぎったんだけど、どうにか心を奮い立たせて?描き上げた。

 

今年も描き方としてはあまり変わらずのおなじみ「超アナログレイヤー手法」、つまりトレペを活用してのアナログレイヤー方式(勝手に命名)で作成。

 

なんか、別にそう決めた訳じゃないんだけど、”シャレ” とか “◯◯にかけて” みたいなノリでアイデアを練るクセがついてしまってて、今年もそっち路線でw

ただ、ボキャブラリー不足、アイデア不足は否めず、「一休さんとトラ」でお茶を濁す感じに…
(;・∀・)

 

というわけで「一休さん」「寅」だけ決めて、あとはなんとなく描きながら思いついた感じで描いていった。

 

一番最初はこんなんw

 

段階的にかなりはしょるけど、キャラとかポーズとか考えてみて…

 

トレーシングペーパーでトレースして、切り抜いて、配置してみて…

 

その上からさらにトレーシングペーパーで一枚にして…

 

描き足したり、直したり。ここでは吹き出し部分を切り抜いてやり直し。

 

でこれまただいぶはしょるけど、スキャナで読み込んで、一度プリント、清書してもう一度スキャナ取り込み、最終的にプリントアウト、という流れ。

 

この超アナログレイヤー手法、詳しく知りたい方は下の記事で。
(と言ってもそれほど詳しくないけど…)

2019 ウリ坊年賀状イラストは超アナログなレイヤー手法?で作成
2019年イノシシ年の年賀状イラスト作成メモ

 

ちなみに、描いてれば消したり手直ししたりってことも普通にあるけど、この方法なら清書段階まで可能な限り紙を汚さずに進められるので最近はこの方法がお気に入り。

下の画像の様に採用してないものもある。

「手書きイラストの年賀状」は重い?

最近は毎年描いている年賀状イラストなんだけど、同じく最近毎年思ってることがある。

 

もともと年賀状を送り始めたのは個人的な思いつきというか、勢いみたいな部分があって、巳年(へび)の年賀状が最初だったんだけど、

たまたま「ヘビーメタル(蛇メタル)」ってイメージを思いついて、勢いで描いて突然送ってみた、というサプライズ的なノリだった。

ところがなかなかウケが良かったもんで、そのまま描くようになった、という流れがある。

年賀状のアイデアでものすごく久々に再開したイラスト
何十年も描かなかったイラストを年賀状用のイラストで復帰した。

 

自分にしてみれば驚いてくれたり喜んでくれたりって反応が意外で、嬉しくて描いてきたんだけど、相手にしてみたら負担になってる部分もあるんじゃないかな?と感じるようにもなった。

 

というのは、今でこそこうして年賀状出してるものの、その前は自分もメールで済ませてて、何十年も年賀状なんて出してなかった。

結構そういう人、同じ様にメールとかで済ませてる人もいる気がして、逆の立場になってみると、年賀状をもらったならやっぱり返さないとって気持ちになると思うし、「手編みのセーター」までいかないにしろ、手書きイラストの年賀状ってある意味重いんじゃないかなと。

 

込める思いとか、その思いの行き先とか

と、どこかえーかっこしいみたいな書き方してるけど、もちろん個人的な感情もある。

 

来年の年賀状はどんな感じにしようかな、ってイメージからはじまって、構図やらキャラやら考えてイラストに起こすって作業は、素人にとってもちろん簡単なことじゃないんだけど、描き進めてる時はどこかワクワクしている。

 

このイラストを見てくれた人がどんな反応を示してくれるだろうとか、驚いてくれたり喜んでくれたりするところを想像しながら描いてたりもする。

それはもちろん「気持ちを込めてる」、もっと言えば「魂を込めてる」ってこと。

 

それは絵を描く以外にも、何かを作る時も、こうして文章を書く時も同じ。

気持ちが伝わるように、思いが伝わるように、何かを感じてくれたら嬉しい、そんなことを考えながら、力ないながらも一生懸命に描いたり、書いたり、作ったりする。

そういうプロセスや思いにプロとかアマチュアとかの違いはないんじゃないかな。

 

それだけに、産み出したものにはもちろん特別な感情が入っていて、反応してくれることが何よりも嬉しいお返しになる。

逆に言えば、当たり前のことのように、ただの事務的な社交辞令の様な形になってしまうことほど悲しいことはないとも言える。

 

本当かどうかは別にして、こんなことを言ってくれる友人がいる。

「母が毎年楽しみにしていて、実家に帰る時にもらった年賀状を持って帰る。
実家では毎年もらう年賀状が額に入れて飾られてるんだよ」

正直もう描くのやめようかと思っても、この友人のお母様のためだけにでも描きたいと思う。

 

また別の友人は、亡きご主人様が楽しみにしていたこと、驚いたり感心したりしていたことを思い出す、と手紙にしたためてくれていた。

僕はこの手紙を一生大切に持っていると思う。

 

ここ何年かは、そんな風に「ちゃんと喜んでくれる人」に向けて描きたい、自分ごときの絵でも喜んでくれる、受け止めてくれる人がいるなら、そういう人のためにこそ思う存分魂を込めて描きたい、と思うようになった。

 

そういうこともあって、「ばらまく」様な年賀状はそろそろ潮時かな?とか思ってたりする。

年賀状が潮時ってなんのこっちゃて感じだし、来年どうするかはまだ未定なんだけども。

 

というわけで、年末大忙しも終わったので、またチマチマ作業、ネコ作りを再開していこうと思ってる2022年元旦なのでした。

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