「精霊の守り人 最終章」を一気見して思ったこと色々

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追記:

当記事内では記事作成の2018年当時のtwitterのツイートを埋め込んでありますが、その後「NHK大河ファンタジー 精霊の守り人」のtwitterページはなくなったようで、リンクが無効になりました。(最終確認:2023年8月)

また、twitterは例のイーロン・マスク氏のアレやらコレやらで「X」となり、リンクが有効であっても「X」にログインしないと見れないという不便なものになりました…

なので、twitter(現「X」…めんどくさ!)の無効リンクは機能しないようにしてありますので、あらかじめご了承ください。
m(_ _)m

 

精霊の守り人 最終章」がついに幕を閉じたので、録画を一気見した。

まずなによりも第一に思ったのは「アニメで見てみたい」だった。

これは別にこのドラマを批判してる訳じゃなく、アニメ「精霊の守り人」が素晴らしい作品なので、「アニメで作られたらどんななんだろう」と、まあアニメファンのサガみたいなもんだろう。

 

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良し悪しは置いといて、関心したのは

で、ドラマを最後まで見て思ったのは、良い、悪いは置いといて、なんてきれいに丸く収めたんだろうってこと。

 

原作は読んでいないし、原作は多くのシリーズがあるようなので、ドラマのようにきれいな流れで終わるのか、それともドラマ版の脚本は手が入れられてるのか、その辺りは分からない。

ただ、3年(そんなにたった!?)に渡る超大作の中で、新ヨゴ国、カンバル、ロタ、タルシュと色んなものを巻き込みながら、結局最後は各国ごとに全て丸く収まるという、あんまり見たことがない?終わり方。

 

 

「良し悪しは置いといて」というのは、普通?なら国の一つや二つがなくなっても物語としては全然おかしくないと思うし、むしろそういうこともなく各国の問題は割と清々しく解消され、悪党的人物達も悪党のまま終わらずに(ログサムは微妙だけどw)全てがうまくいく、なんて虫がよすぎて、作り話感がハンパない、子供だまし、的な感想は少なくないんじゃないかとも思ったので。

 

ただ自分個人的には突き抜ける程のハッピーエンドは好きだしw「はぁ!?」みたいな無理やり感も感じなかったし、むしろこの終わり方に感心してしまったので、楽しめて良かったなと思う。

 

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細かいこと言えばチャグムはよく泣くなとか、最後の方のマント姿は少年探偵みたいだなとか、タルシュの衣装はどうなの?とか、言い出せばきりがないんだけどw

 

 

ドラマの弱点?

そんな訳で、ドラマ「精霊の守り人 最終章」、がっかりはしないで済んだ。

そう、がっかりはしなかったけど、「素晴らしかった!しびれた!」と言えるほどに感動もしなかったなというのが正直な感想。

 

その原因はやっぱり「実際に存在する俳優やタレントさんが演じる」という点にあって、もう避けることができない問題。

 

 

これは例えば原作を読んでいる人や、アニメを見た人が、綾瀬はるか演じるバルサや吉川晃司演じるジグロに違和感があるとか、大好きだった漫画がアニメ化されたら声の印象が違い過ぎてがっかりした、とかいうのとはちょっと違う。

そうではなくて、俳優やタレントさん達の普段の姿を見過ぎてるせいで話に集中できないのだ。

 

以前やったドラマや映画の印象が拭えないとかならまだしも、バラエティなどにも出てる人たちだし、今は「ドラマ○○の制作現場に潜入!」みたいな番組もよくあるから、そういう場面を想像できてしまったりする。

その上、出演してる人が「大変な現場でしたよ」とか平気でいってたりするんだから、見ていてもどこかで「この撮影の時大変だったろうなぁ」とか「カットかかった後どんな話してるんだろうな」とか頭の中によぎってしまうのだ。

 

ファンタジーで、作り物で、架空の物語を一生懸命役者さんとスタッフさんが作ってるんですよ、それがドラマですよ、映画ですよ、という暗黙の了解を受け入れながら見ているものになってしまって、あくまでも「作られた作り物」「作り物を今度はこんな風に作ってみたけど、どう?」って感じになってしまう。

そういう意味で純粋な「作り物」の部分に入り込めないし、それを納得した上で見るものであって、ある意味弱点でもある。

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ただ、その「作られた」感を突破できる瞬間、純粋に物語に入り込める瞬間は多分あって、それはなんというか、有無を言わさない怒涛のパワーというか、エネルギーというか、作り手さんの気持ちが伝わる様なものだったりするのかもしれないし、

またそういうパワーやらエネルギーやらだけでもだめで、個人個人の琴線に触れたりとか、潜在意識的な何かに働きかけたりとか、そういうものの相乗効果であったりするのかもしれない。

 

すごい悪役俳優さんでも旅行番組に出て温泉入ってるような今の時代に、例えば映画「アウトレイジ」を見て、

 

しびれ太
しびれ太

こんな役やってるけど、この人すごい温厚でやさしい人なんだよなw

 

とか思わないで見てしまうのは、「悪」とか「暴力」とか、現実を生きる上でも厄介な問題がほぼ直球のエネルギーで投げつけられ、「ただの作りもの」としてだけでは片付けられないからだと思う。

 

かと言って、それ程のエネルギーやパワーをこの「精霊の守り人」というファンタジーな世界の全シーンに使うのは現実的に不可能だし、まして3年にも跨る長い作品でそれを求めるのもまた無茶だったりすると思う。

 

だから日常的なドラマならまだしも、明らかに無理があるだろう壮大なファンタジーに挑んだだけでも勇気があると思うし、

視聴率うんぬんは置いといて、少なくとも「酷いな…」と思うことなく楽しめたのは良かったなと思う。

 

アニメーションが超えられない実写の力

そんな訳で、ドラマはドラマとして割り切って楽しめた一方、やっぱり無理を感じるのも事実。

なので、最初に書いたように「アニメで見てみたい」とも思ってしまった訳だ。

 

とは言え、実はドラマの「槍舞い」の回はとても感動して、不覚にも号泣してしまったw

 

上で書いた「突破した瞬間」と言う部分で言うなら、まさにこのバルサとジグロのシーンだったと思う。

物語上も、バルサやジグロにとっても、すごく重要な部分だから、綾瀬はるかや吉川晃司はもちろん、制作陣、きっと作り手側もセリフや美しい映像を作るのに相当にエネルギーを注ぎこんでるはずだ。

そういう意味では思いっきり物語に入り込んで泣いてたので、一本取られた。

 

 

個人的にはやっぱりアニメの印象が強いので、ドラマ版バルサには「綾瀬はるか」を拭いきれないし、まして吉川晃司のジグロは違和感がかなりあるんだけど、「槍舞」の回はそういうものを感じずに見られた。

 

アニメ「精霊の守り人」にももちろんジグロは登場する。

精霊の守り人 11

原作とドラマの展開とかの違いは分からないので、この「槍舞」の2人のシーンが原作のどの時点で登場するのかは分からない。そもそもそういうシーンがあるのかどうかも。

ただ、仮にドラマと同じように進行したとして、アニメのバルサとジグロがこうして通じ合うシーンをなんか想像できなかった。

 

アニメ版のバルサは、ドラマ版のバルサのような悩みや葛藤をすでに乗り越えた、凛とした大人の女性のような印象があるからだ。

もちろんアニメ版なら2人の話すシーンだけ若い時分のバルサにしても破綻はしないと思うし、それはそれで絵になる気はするけど。

 

そういう意味では、どこか粗野でまだまだ若い印象のある綾瀬はるか版バルサにしかできないシーンではあったのかなと思う。

実際2人が向き合って話すシーンでは父と幼い少女のバルサのようだったし。

綾瀬はるか写真集 BREATH

そして「一本取られた」感のもう一つの理由が、このシーンは実写でこそ得られる感動だと思ったから。

 

2人が話すシーンと槍を交わすシーンの動と静の感じや、何よりもこの幻想的で荘厳な映像美は実写だからこそ活きる美しさだと思う。

 

これは多分人間の感性というか、性質の部分の問題になってくる気がするから、いくら究極的に美しいアニメーションを作っても意味がないと思う。

アニメーションでは絶対に超えられない壁というのも実写には絶対にあるはずだから。

 

バルサが置いた槍の意味?

ラストはバルサとタンダが一緒に帰るのかな?と思ってたんだけど、そういう終わり方をしなかった。

 

 

山城でチャグムや二ノ妃などと言葉を交わした後辺りから、槍を見て何か想うバルサの姿が描かれてる。

森の中で物思いに耽るバルサ。槍を地面に突き刺して、置いて帰るのかな?と思ったんだけど、それも違ったw

結局タンダの待つ家に戻るまで槍を持っていて、家に立てかけて終わる。

 

これの意味を妄想していた。

 

戦が終わって平和の息吹が感じられる山城とは言え、二ノ妃と合う時ですら刃丸出しの槍を持っていて、この後も最後までカバーがされることがない。

つまりこれが平和になったこと、平和であることの象徴なのかな?と。

 

山に突き刺して帰ることもできたかもしれないけど、それはそれでその行為自体に戦の匂いみたいな意味を持たせてしまう気がする。

戦う為の武器、人を殺すための道具というのをあえて印象付けるような。

 

そうはせずにバルサが持ち帰る裸の槍にこそ意味があって、捨ててもいいし持っていてもいい、

様々な人物との絆でもあり、バルサという人物の象徴でもあるけど、その槍に槍としての意味を持たせないことにこそ意味を持たせたのかな?と思った。

 

少々拍子抜けした部分もあってか、そんな妄想を描きながら最後まで見納めたのだった。

 

 

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