前々回の記事で『メイドインアビス』の紹介レビューを書いた。
かなり長くなってしまってたので、「今回は省く」として書かなかったことがある。
今回はオマケとしてその辺りのことについて書いてみる。
『メイドインアビス』第2期放送決定!ながら今回の記事は…
前々回の記事では
と書いたんだけど、先日「7月放送決定」とアナウンスされた!!
そして、これまた前々回の記事でもお伝えしたように、BS11での再放送もスタートしてるので見てる人も多いかもしれない。
新作公開の予習としても、あらためての復習としても楽しめるのでチェックするべき作品だ♪
ご存知のように「烈日の黄金郷」は無事に?スタートして終了 (;´∀`)
動画の配信もスタートしてます♪

で、この『メイドインアビス』という作品、名作ではあるものの、残酷な描写があったりキャラが独特だったりなど、見る者を選ぶ、みたいな部分もあったりして、その辺りのことは前々回の記事でも書いた。
書かずに省いた部分というのは、原作者つくしあきひと氏の「ワクワクする自殺」という部分に関してのこと。
今回はこれに関して、自分が感じたことを書いてみる。
ただ、『メイドインアビス』本編にはほぼ関係ない話になる?気がするので、興味ない場合はスルーで。
「ワクワクする自殺」と「ワクワクしない生活」?
つくしあきひと氏の「ワクワクする自殺」というのは、対談の中で主人公リコを表した言葉で、生きては戻れないアビスの深界へワクワクと目を輝かせて進むリコの姿を言っている。
前々回の記事で、これは「ワクワクしない生活」へのアンチテーゼ的なことでもあるのかな?とも書いた。
表層だけ捉えれば恐らくそういうことになるのかもしれないけど、作家さんが真に考えてる事は自分の頭程度じゃ分からないとも思うので、実際のところはどうなのかは分からない。
ここで書くのはあくまでも僕個人が感じたことや、思ったこと。
「ワクワクする自殺」の反対に「ワクワクしない生活」があって、それが例えば前々回の記事で書いたようにリコやレグの様な冒険者ではなく、ナットの様なタイプ、イコール自分のようなタイプだとしたら?という話。
これは多分多くの人に当てはまることで、生死の問題うんぬんじゃなく、「本気でやりたいことをやっているか」みたいな話に通じてくるんだと思う。
いわゆる自己啓発的な部分だろうか。
本当にやりたいことはあるけどそれじゃ食えないからとか、逆に本当にやりたいことが見つからないとか、色んなパターンはありつつ、結局は日々退屈で、ただ生きるためだけに生きてはいまいか、それが本当に充実した人生と言えるのか、みたいな話。
多くの人はそういう悩みや迷いを持ちつつも、「子供じゃないんだから…」みたいに隠すようになっていく。
ただ、自分のようにオッサンになっても「中二病」から抜け出せない人間、現実を直視できず、夢みたいなことばかり言ってる阿呆もたまにいるのだ。
中二病と母の死
中二病をこじらせたオッサンの戯言を続ける。
「ワクワクする自殺」は言ってみれば現実そのものへのメッセージで、
というメッセージにも取れるんじゃないかと思うんだけど、いかんせんこの平和な日本において、「確実な死」を実感すること自体があまりない。
これを自分自身の心境の変化みたいなものを踏まえて、少し違う視点で書いてみる。
子供の頃からインドア派で、冒険やら予想外の事態やら恐いことお断りな性格だったけど、知的冒険?探求?など、頭の中での活動は得意だったw
生で恐竜が見たいなとか、本物の過去の偉人たちはどんなだったんだろかとか、あの事件の真相を知りたいなとかからはじまり、お約束的にこの世界の不思議や生きることの意味、命や魂、そしてこの世の真相真理を知りたい、そんな風に思う様になった。

死んだら見れるんだろうか?
死んだら全て分かるんだろうか?
いやでもそもそも死んだらどうなるか分からんし…
そんなかわいい?疑問も歳とともに忘れかけてたんだけど、あるきっかけから再び思いを馳せるようになった。
そのきっかけと言うのは、自分にとって一番身近な存在だった母の死だ。
死後の世界への興味
それまではもっと得体の知れない遠いものだった死が、母の死によって得体は知れないけれどとても近いものに変わった。
死んだと言ってもどうもピンとこない。
毎日線香を上げる度に
とか問いかけたりしてる。
「そっち」ってなんだよ、とか自分でツッコミつつw
そんな日々を繰り返す中で、

オカンはアッチで全て見たんだろうか?
オカンはアッチで全てを知ったんだろうか?
そんな風に思うようになって、かつての「死んだら分かるんだろうか?」みたいなことも、より身近に思うようになったのだ。
もちろんそんなことを考えるのは、基本中二病だからってことになるのかもしれないけど、
そう思ったら死ぬのは怖くないというか、変な話、それはそれで少し楽しみだな、くらいの感覚を持つようになった。
いや、だからといって早く死のうなんて馬鹿げた話ではなく。
それは「ワクワクする自殺」と言えるほどに楽しい現実じゃなかったとしても、「ワクワクしない生活」も悪くないと思えるカギになる気もする。
この世というアビスからの卒業?
そもそも「ワクワクする自殺」の逆説的に「ワクワクしない生活」があるとして、ナット、つまり自分みたいなタイプの生活がワクワクしないかなんて分からないじゃないか!
ナットがマルルクちゃんに恋するのだってワクワクじゃないか!
(いやこれは原作にないのかもしれんけどw)
…てそれは置いとくとして、死んでもいいと思えるほどワクワク生きてる人の方が少ないだろうことを考えると、「ワクワクしない生活」をどう生きるかって方が重要な課題だと思う。
なんでかって、それは「死」という得体の知れない確実な終わりが待ってるからじゃないだろうか。
もちろん〆切りがあるから気合が入るってのはあると思うけど、やりたいことや目的、目標が見つからなければ、日々迫りくる最後の日に焦りだけが募ってしまう。
でももし「死」が終わり、〆切りじゃなく「この世」という学校の卒業みたいなもので、次の何かがあったとしたら、そしてそれを「ワクワクする自殺」とまでは言えなくとも「少し楽しみだな」くらいに思えたとしたら、もっと気楽にならないだろうか。
高校生になったらどんな感じかなぁ、大学入ったらサークル入ろうかなぁ、会社に入社したらバリバリ働こう!とか、ちょっと楽しみにしつつ、じゃぁその前に今これを楽しんどこう♪みたいな感じで。
現実を普通に生きるだけでも色んな困難があるけど、リコやレグの腕の件とか、ナナチとミーティー、プルシュカのことと同じ様にただの過程、イベントとして起こってるだけ、途中でトラブルは起きつつも、解決しながら旅路はずっと続いてく、みたいな?
そんな風に思えたとしたら、ある意味人生はRPG(ロールプレイングゲーム)だ。
急ぐ必要はあるかもしれないけど焦る必要はないし、焦る気持ちがなくなったら、人生というアビスももう少し楽しく進んでいけるかもしれない。
(きれいにまとまった?w)
気付きはどこにでも転がってる
大切な人や大切な存在の死というものが、残った者にとってどれほど大きなことなのかは経験してみなければ分からないことだし、個人個人で受け取り方もまた違うと思う。
個人的なことを言えば、おかんが死んだという現実は受入れつつも理解なんてできるはずもなく、ますます知りたくなって本を読んだり動画を見たりネットで検索しまくったりして、どうにか自分を納得させるようにしてた気がする。
結局のところ解決できるのは時間だけたとも思うけど。
でもそんな風に色々見まくってる時間の中で、あらためて人生とか生き死にとか真理とかに思いを馳せたり、魂やら宇宙やらのスピ系に触れたり、シミュレーション仮説やら量子力学やらの不思議な話も面白くて、もしかしたらそういうことの全てが死んだら分かるのか?、みたいな心境になっていった。
そういうものがあっての、アニメ『メイドインアビス』の紹介レビュー、そして「ワクワクする自殺」のことに繋がって、今回はこんな記事を書いてみた、という経緯。
もう『メイドインアビス』の紹介でもレビューでもなんでもなくなってしまってるんだけど、なんとなく書いておきたくなった。
フォロー的に言うとしたら、素晴らしいアニメーションはそういう深い思いにつながるきっかけにもなるんだよ!って感じでオチとしておこうかなと 笑
(情報は2024年3月時点のものです。最新の配信状況はU-NEXTサイトにてご確認ください。)
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