文系あるいは作る系人間にとっての「ゾーン」があるとしたら…

 

すごく長いこと付き合ってもらっている友人から、あるイラストを描いてもらえないかとお話をいただいた。

まぢすか?ちょっと恐れ多いすよ、とか恐縮しつつ、自分なんかのイラストで良ければということで描かせてもらうことにした。

 

スラスラ描けることだけが楽しさに繋がる訳じゃない

3つほどパターンを考えて、もりもり妄想しつつ、今2つ目のイラストをこつこつ描いている。

 

とは言え、とにかく基礎的なものを一切持っていないので、例えば1つのポーズを描くにしても、それに近いポーズを画像やらイラストやらから探し出して模写する、みたいな地味な作業を繰り返している。

今回の場合、さらにちょっとした要素も必要ということで結構苦労してるけれど、とにかく描き始めると夢中になってしまって時間がいくらあっても足りない。

 

ので、全然ブログ記事を更新してなかった。
ので、時間がいくらあっても足りないので記事書く隙がないことを記事にしておいた。

 

こういう楽しさは、なんだろう、イメージの中にこれっていう確実な完成形がある訳じゃないんだけど、何度も描いては直ししていると「おおこれだ」と思えるものに近づく、そこを目指す楽しさだろうか?

もちろん「近づく」ってだけで、ゴールにはあまりにも遠いんだけれど。

 

何かを直してる時とか、作ったりするのも同様な感覚があって、こちらは完成形をよりイメージしやすいから、ひたすらそこを目指してこつこつこつこつやる。

そのこつこつ中はただそれだけを見ていて、もの凄く集中していて、ある意味とても贅沢な時間なんだと思う。

文系人間が体育会系人間の快感を知る為に?

こういう状態は、アスリートで言うところの「ゾーン」ってやつになるのだろうか。

 

だとしたらちょっとかっこいいけど、まぁ見る人が見たら「キーッ!」ってなる類のものだろう。

その手の人には、恐らく本人がそういう贅沢な時間を味わっているだろうことは絶対に伝わらないと思うんだが、どうだろう。

 

伝わる伝わらないみたいな話をすると、不特定多数に向けてよりも、誰か特定の相手を想像して何かをすると充実感が増すというのもまた事実なんじゃないかなと思う。

今回の様なイラストはもちろん、何か作るのも、年賀状とかもそう。

 

ウケてくれるかなとか、気付いてくれるかなとか、相手の反応を勝手に想像して、ニヤニヤしながら描くのもまた楽しいし、完成した時の自分の充実感も大きい。

人間は多分そういう風にできている。

 

以前1人でタップを踏んでいて、充実感というよりも、妙な恍惚感?に包まれた事があったけど、それは何時間も防音室で汗ダラダラの脱水状態からのトリップだったに違いないので、そういうのとは全く違う。

同じ類のものがあるとしたら、マラソンのナチュラルハイとかに近かったりするんだろうか。いやただ死線を漂っただけか。

 

なんにしても、いつも思うに、絵を描くというのは本当に難しいなと思う。

 

でもそれだけに仕上がった時の達成感や充実感もまた大きい。

そしてそういう達成感や充実感は、描写方法をちょっとだけ変えてみるとか、さらに精密に描いてみるとか、今までよりも少しだけ高いハードルを超えることでさらに増す。

 

おお、「昨日の自分を越える」なんてアスリートや格闘家みたいでちょっと格好いいじゃないか。

だらだらと何の脈絡もなくなってきたので、そういうオチにして締めておく。

 

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