1月から2月にかけて、NHKで土曜ドラマ『探偵ロマンス』という番組が全4回で放送された。
江戸川乱歩作品をドラマ化する、という訳じゃなく、江戸川乱歩その人(本名平井太郎)が登場するというある意味異色の「乱歩作品」。
アニメ同様1週間待つのが嫌なので、このドラマも全4回を録画しておいてまとめて見た。
またまた久しぶりの更新今回は、その『探偵ロマンス』を見終わった感想、というか、もうちょっと大きな括りで「江戸川乱歩」関連のことを書いてみようかと。
「江戸川乱歩」というエンターテインメント
まず『探偵ロマンス』を見た正直な感想としては「可もなく不可もなく」というのが本音。
ズバッと「面白かった!」「つまらなかった!」と言えればいいんだけど、ほんとに可もなく不可もなくって感じで、「うん、まあ、悪くはないと思うけど」くらいの印象だった…
でも「乱歩作品」であればこの「可もなく不可もなく」は別に珍しくもなくて、むしろそれが普通って気もする。
江戸川乱歩絡みの作品はそれくらい幅広くて、すでに一つのエンターテインメントとして確立してる気さえするから。
要素として、元祖「エロ・グロ・ナンセンス」的な部分はもちろん、推理、探偵、ミステリー、サスペンス、活劇、アクション、サイコ、ラブロマンス、などなど、どれをもマルっと飲み込んで一つの世界観に料理してしまえる、それが江戸川乱歩作品だと思う。
だから見る側はもちろん、作り手側も「遊べる」んじゃないかな?と想像できるし、その「遊び」も江戸川乱歩作品だからこそ成立する、みたいなフトコロの深さもある気がする。
人間の本質をくすぐる江戸川乱歩沼?
かくいう自分ももちろん江戸川乱歩の大ファンで、小学生低学年の頃は図書室に通って『怪人二十面相』シリーズを読み漁ったし、天知茂さんが明智小五郎を演じる、いわゆる『江戸川乱歩の美女シリーズ』は幼心にドキドキと胸の鼓動を抑えられなかったものである 笑
(出典:YouTube キングレコード映像制作部)
その後しばらく乱歩作品から遠ざかっていたものの、「イカ天」(三宅裕司のいかすバンド天国)で『人間椅子』をはじめて見た時の衝撃で?文学小説や江戸川乱歩作品への興味も再燃した。
なので、その当時同人サークルとかに送ってたイラストは妙にそっちを意識した?作品が多い (・_・;)
上の記事でもチラッと載せたように、イラストや漫画だけ見たとしても丸尾末広的なエロ・グロ・ナンセンスの世界観もあれば、人間椅子のジャケ写イラストも担当した大越孝太郎のようなサイケデリック?な作品もあるし、『文豪ストレイドッグス』は置いといて『乱歩奇譚』というアニメ作品もあったりする。
(出典:YouTube 【フジテレビ】アニメ公式チャンネル)
ちょっと「漁る」だけでもどんどん溢れてくる、それが江戸川乱歩の世界であり、もう少し深く言うなら人間の本質をコチョコチョとくすぐる要素をふんだんに盛り込んだ、妖艶なカオスの世界なのだ。
『探偵ロマンス』にあの人が出ていたら?
ドラマ『探偵ロマンス』の感想をもう少し書いてみると、どちらかと言うと『少年探偵団』的なイメージの作品て感じだろうか。
どろどろとした暗く陰鬱な方の乱歩が好きなら、この作品では満足できないと思う。
もちろん土曜の夜にNHKでやるんだから、そんな「闇」側の作品を期待する方が野暮なんだけど 笑
逆に言うと、少年探偵団的な冒険活劇の様に見ればこれはこれでありで、明智小五郎ならぬ、名探偵・白井三郎(草刈正雄)が「なんてじじいだ!」と平井太郎(濱田岳)に言わせしめる大活躍を見せたり、『鬼滅の刃』で一気に花開いた?感もある明治、大正時代の魅力みたいな雰囲気の一端も楽しめる。
「闇」的乱歩が好きな人でも、こういう「明治モダン」とか「大正ロマン」的な部分からイメージを膨らませて妄想で楽しむ、なんて楽しみ方はできるかもしれない。
どれもさわり程度ではあるけれど、独特なきらびやかさや華やかさが漂っていたり、救いがたい貧困が同居する退廃感があったり、「見世物小屋」的な雰囲気が漂っていたりと江戸川乱歩の世界観を軽いジャブ程度に見せてくれる。
この『探偵ロマンス』は、そんなカオスな世界観を「見せられるエンターテインメントな舞台背景」として格好良く描けてるんじゃないだろうか。
ただ、個人的には満島ひかりの『シリーズ・江戸川乱歩短編集』がとても好きなので、NHK繋がりってことでオマージュ的に?ラストの「イルベガン」男装の麗人を満島ひかりさんにして欲しかったなぁと思った…
続編がありそうな匂いもしただけに、満島ひかりさんが「イルベガン」だったらめちゃくちゃ期待度上がるのになと 笑
市川実日子さんも好きなんだけど、ちょっと柔らかすぎる印象があるというか、それならまだ市川実和子さんの方が合うんじゃないかなとか?…
まあ、満島ひかりさんだとガラッと世界観は変わってしまう可能性はあるんだけど、仮に続編があって違う路線も描いてみる、なんてのもアリだとは思うから。
ちなみにこの『シリーズ・江戸川乱歩短編集』は、第1弾〜第4弾とも全て現在はどこからも配信していない模様。
独特の映像と世界観ですごく面白かっただけにめちゃくちゃ残念!
こういう良作こそ配信してくれよNHK!!
って感じ。
本当の『パノラマ島』は自分の心の底に?
今の若い人たちは活字よりも映像なのかな?って気はするけど、江戸川乱歩作品が気になるって人は絶対に映像よりも先に原作小説を読むべきだと思う。
なぜなら文字、文章から広がる世界こそ、自分自身が創り出したデカダンスや猟奇性、エロ・グロ・ナンセンスであって、普段はあまり見ないものや、ある意味見てはいけないものとして「封印」している部分だから。
そういうどこか後ろめたさを感じるのは、子供が虫の羽や足をむしり取ったりする根源的な残酷性とか、そこに潜むエロティシズムを呼び覚ましてしまう様な怖さも感じるからなんじゃないだろうか。
でもそうだとしたら、それこそそうした感覚は簡単に手に入れようとするよりも、じわじわと感じていった方がいいと思う。
それは別に、犯罪に繋がりやすいとか社会常識的にどうかとか小難しいことを言ってるんじゃなく、単純にその方が感性を磨ける、深く味わえる、と思うから。
むしろそうした積み重ねこそが想像力を養って、結果的に人を思いやれる力に繋がっていくのかもしれないとも思う。
いかに才能ある映像作家さんや映画監督さんだったとしても、その人達に作られた映像作品はその人達の世界観だから、自分が封印してるだろう「闇」的な部分とはまるで違ってる可能性が大きい。
それらを目に見える映像という作品で突き付けられるインパクトはとても大きくて、もしかしたら自分の中に覗き見る「闇」、ある種のロマンとか美しさすら抱くかもしれない自分独自の大切な想像力を、いとも簡単に吹き飛ばしてしまう危険性がある。
これが行き過ぎると?寺山修司とか天井桟敷とか、アンダーグラウンド、いわゆるアングラ方面に向かってしまう可能性もあって、ヘタするともっと深い「闇」に落ちることもあるので注意が必要だ。
(経験者談 笑)
ただただ映像を見たいとか、純粋に動画ファンとかいう人なら良いかもしれないけど、世界観を楽しみたいとか、感性を刺激したい、想像力を養いたいとか思うなら、いきなり映像を見るような簡単な方法には走らない方がいいと思う。
まあ、いきなり映像で乱歩を探す人は「江戸川乱歩」はただのキーワードで、それほど重要な要素じゃないのかもしれない。
でも『パノラマ島奇譚』よろしく、めくるめく広がる己の想像の世界に足を踏み入れる夢を見てしまったなら、映像ではなく、是非文章で読んでみるべきだ。
果たして「うつし世はゆめ」なのか、はたまた「夜の夢こそまこと」なのか、そんなゆらゆら揺らめく感覚を味わうことだってできるかもしれない。
江戸川乱歩デビュー作『二銭銅貨』の衝撃
江戸川乱歩がいかにも禍々しい世界の様に書いておきながら、実は個人的に一番衝撃を受けた江戸川乱歩作品は『二銭銅貨』という処女作の短編推理小説だったりする。
『二銭銅貨』をはじめて読んだのはかれこれ約30年近く前になる。
『江戸川乱歩生誕100年記念出版』という上下巻の分厚い書籍で、乱歩好きということを知っていたおかんからの誕生日プレゼントだった 笑
バンド『人間椅子』から再燃した乱歩愛もあってか、自然とおどろおどろしい作品ばかり読んでいたのもあるし、処女作がなんであるかどころか『二銭銅貨』なんてタイトルさえ知らなかった。
もちろんネタバレを避けるために内容は書かないけど、おどろおどろしさなんて微塵もない、むしろ爽やかささえ漂って来そうな推理小説で、とにかく
すげぇ!これがデビュー作なの!?イメージと全然違ったけどめちゃくちゃ面白い!
と度肝を抜かれてしびれたのを覚えてる。
短編なのでサクッと読めてしまう短さながら、そこに描写される光景がありありと想像できて、グイグイ引き込まれて行ってのラストへの展開、もちろん自分自身の「江戸川乱歩」の先入観があって、そことのギャップ萌え?があったのは事実かもしれないんだけど、それでもこの『二銭銅貨』の面白さはほんとに衝撃的だった。
同じ様に「江戸川乱歩」というステレオタイプのイメージがある人は、機会があったら是非読んでみてもらいたい。
オッサンの独り言
という訳で、今回はNHKの土曜ドラマ『探偵ロマンス』から江戸川乱歩繋がりで色々と書いてみた。
思い返してみると、子供の頃に見た『怪人二十面相』とか『江戸川乱歩の美女シリーズ』とか、「昭和だなあ」「カオスだなあ」と思う。
一方で学校の図書室という健全な場所?で文章や挿絵でワクワクさせつつ、もう一方では土曜のゴールデンタイムのテレビで裸のおねーさんが拷問されたりする様をドキドキしながら見てたんだから 笑
とは言え、昭和から平成の前半辺り?までは情報量なんて全然少なくて、だからこそもっと知りたくなって、色んなことに貪欲だった気もする。
今はネット検索すれば大抵のことはすぐに分かるし、場合によっては動画で分かりやすく見れたりもするから、便利で簡単なぶん薄っぺらい気がしてしまう。
もちろん興味があることならそこからさらに深く潜って行くこともできるんだろうけど、薄っぺらいことや浅く広く知ることに慣れてしまって、潜りたくなる程に興味をそそられる何かに辿り着き辛くなってたり、もしくは気づき難くなってたりもするんじゃないかな。
最近の若い人たちに「明治モダン」「大正ロマン」「昭和レトロ」とかがブームになってたりするのは、心のどこかで「足りていなかった時代の熱量」というか、分からないことがたくさんあった、もっとどろどろとした?混沌と不思議な世界があった時代への興味や憧憬があったりするんじゃないか。
それなら益々江戸川乱歩作品を読んで、感性をゴシゴシ磨いてみるのもいいんじゃないかしらん?
そんなことをぼんやり考えたりするするオッサンの今日この頃なのでした。
いや、このオッサンも昭和生まれだから、明治や大正を知ってる訳じゃないんだけども 笑
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