おかんのこと、あらためて思う死ぬとか、生きるとか

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喪中はがき何枚いる?と聞かれて、ああそうか、今年は年賀状イラ描かないんだよなと思って、残念なのとホッとしたのと半々。

毎日思い返すからそんな感じはしなかったけど、いつの間にか亡くなって半年経ったんだなと。

 

その間いろいろ思ったり感じたりしたこともいずれ忘れるんだろうかと思って、覚えてる今のうちになんとなく書いておこうかなと思った。

 


 

元々孤独好きなのもあるし、未だにひどい悲しみに襲われることもなければ、寂しさを感じたりすることもあまりないんだけど、それもある意味おかんのおかげの様な部分もある。

 

おかんにとって闘病期間はしんどいものだったと思うし、最後の数ヶ月はほとんど寝たきりのような状態でもどかしい気持ちもたくさんあったと思う。

 

でも家族にとってはその期間が死に対しての準備期間だったんじゃないかな。

 

医者からあとこれくらいかもしれないとも言われてたし、口に出して言わないまでも、多分みんな今日は大丈夫だろうか、明日は大丈夫だろうかって感覚はあって、その都度少しずつ少しずつ心構えというか、覚悟を重ねてたような気がする。

 

その期間は個人的にもある意味ありがたかった期間でもあって、普通の時以上にたくさん話をしたし手もたくさん握った。

 

おかんには怒られるかもしれないけど、正直そういう部分は少しだけ癌に感謝してる部分もあったりする。

だって息子と言ったって、いい歳したオッサンが母親の手を握ったりさすったりなんて、普通の生活の中ではできないと思うしw

 

そんな訳で、その意味は分からなくても、おかんの死は割とすんなり受け入れられた気がする。

 


 

「本当の別れ」というとおかしな感じではあるけど、亡くなったその日が別れではなく、本当に実感として別れを感じるようなことはあった。

 

以前記事にも書いたように、おかんが世話になった看護師さんやヘルパーさんにマスクをあげようと思って、おかんの古いミシンでマスクを作った。
(結局マスクの行き先は別になってしまったけど…)

ミシンの凄さに感動したり、なんとなくおかんの時間を共有してる感覚を味わったのは記事にも書いた。

 

で、お礼の分を作り終わったら、その流れでもっとマスク作ってヤフオクに出品しよう、とかも計算してたんだけど、なぜか「もういいや、やめた」と片付けはじめてしまった。

 

作るの大好き人間で、マスク作りも面白いと思ったし、改善点とかも色々思いついて、普段ならますますのめり込むところなのに、自分でも驚くほどアッサリと「もういいや」って気持ちになった。

ミシンを片付ける時に少しの寂しさを感じたのと同時に、おかんに「じゃあね」といつもの感じで言われた気がした。

 

それが偶然?にも四十九日法要の前日のことで、和尚様の四十九日まではあの世とこの世を行ったり来たり、家の周辺に漂ってる、みたいな話も思い出して、あれ?これが本当のお別れってことなのかな?と思ったら自然と涙が溢れて、号泣してしまった。

 

それまで亡くなってからそんなふうに泣くこともなく、自分がひどい冷血漢の様な気がしてちょっと引いてた部分もあったんだけど、ようやくスッキリしたと言うか、ちゃんと受け入れたような気がした。

 


 

まだ動けていた時期から少しずつ身辺整理とかもしてたんだと思うけど、それでもやっぱり結構多くのものが残ってて、それを見るのがしばらくは辛かった。
というか、未だにちょっとしんどいんだけど。

 

おとんと姉、おかんと自分で性格は全く逆で、おとんと姉に任せておくと何でもかんでも平気で捨ててしまうので、大切そうなものは先に確保しておいたw

ほんとに血を濃く受け継いでるなと思うけど、おかんはものを作ったり、絵を描いたり、本を読んだりするのが好きな人だったから、絵やら材料、本や日記などは自分の元へ。

 

生前、本は売ればいいって言ってたのもあるし、結構な量あったのでヤフオクで売ってみたんだけど、どうも後ろ髪を引かれるというか、気持ち的に整理ができないみたいな部分もあって、数冊売ったところでやめてしまった。

 

本はアート系の本とか作品集、ハウツー系の本とか、これまた自分と同じ様な感じだったんだけど、多かったのが美術館の作品展とかの図録。

癌になる前はよく作品展に行ってはいるようだっだけど、その図録の数を見て、こんなに展覧会や美術館、個展とかに行ってたんだなとあらためて知った。

 

たくさんの図録をペラペラとめくって、おかんはどんなことを感じてたんだろう、どんな感想を持ってたんだろうとか思ったり、その日1日のことに思いをはせて、どんな格好をして、どんな風に会場に行って、作品を見て、図録を買って、お茶でもしたんだろうか、帰って来て図録を見返してあらためて色々感じたりしたんだろうか、とかを想像して、ちょっとほんわかした気分になったりした。

そんなことをしてるから売れなくなっちゃうんだけどw

 

今さらではあるんだけど、一緒にたくさん行っとけばよかったなと思った。

 

自分に限ったことじゃないと思うんだけど、母と息子の関係って恥ずかしいというか照れくさいというかなんとも微妙で、なかなかそこを乗り越えられない場合が多い気がする。

それをちゃんと乗り越えられた関係は本当に幸せだと思うんだけど、自分の場合は結局それができず、心残りをずっと抱えていくんだろうなと。

 


 

終活が流行ってる(って言うのか?)みたいだけど、形式的ではないにしろおかんもそういう旅立つ前の準備はしてた。

いらないものを処分するのもそうだし、結局使わなかったけど、きっと遺影用に撮っておいたんだろうなって写真もあったり、死んだ後の手続きとかのメモ書きみたいなものも残してくれてた。

 

握力もなくなって鉛筆も持てなくなってしまうまで、日記もひんぱんに書かれてて、まだちょっとまともには読めないけれど、痛みのこととか不安な気持ちとかも書かれてた。

ボケてしまうことへの不安も大きかったみたいだから、クロスワードやスケルトンとかもよくやってたんだけど、鉛筆も持てなくなってそれもできなくなった。

 

最後の数ヶ月は好きなテレビ番組とかも見なくなって、眠るでもなく目をつぶっていたり、あるいは空を見つめていたり、執着がなくなってるようにも、諦めてしまってるようにも見えた。

 

それはそうだろう、几帳面で、自分で色々やってた人が、自分ではなにもできなくなって、身を任せるしかなくなってしまったんだから。

でもすごく頑固な人でもあったから、そうでもならなければまっさらにならない部分もあったかもしれない。

 

終活をしてる人たちにとって、死ってものがどれくらい現実的なのかは分からないけど、おかんにとってはまさにすぐ目の前に死があったはずで、その心境とは一体どんなものだったんだろうかと思う。

 


 

想像するのはきついけど、終わりが近いってことは本人も当然感じてたと思う。

そのぎりぎりの間際で、自分が死ぬ時を選択できるのかは分からないけど、ひょっとしておかん自身が決めたんじゃないかって思うこともあったりする。

 

亡くなったのは4月、桜が綺麗に咲いた晴れた朝だった。

考えてみればその後コロナで大変なことになって、夏は酷暑でこれまた大変なことになって、もし寝たきりの状態がずっと続いてたら、本人はもちろん、家族、看護師さん、ヘルパーさんと負担は結構大きかった気がする。

 

そんなことになると本人が分かってたかなんて知る由もないけど、迷惑をかけることを嫌うおかんの決断だったのかもしれないとか思ったりする。

 

さばさばした性格でもあったから、もう充分、ってふんぎりをつけた気も。

 


 

もちろんどれもこれも生きてる人間の勝手な想像で、そう思い込みたいだけなのかもしれないけど、生きることすら分からないのに、死ぬことなんか分かるはずもなく、それならどう思おうが自由だろう。

 

ただ、一つ言えるのは最初の方に書いたように、寂しさを感じることがあまりない。

 

魂うんぬんの話になるとスピ系な感じだけど、スピリチュアルな話は嫌いじゃなくむしろ好きな方だし、それもまたおかんの影響だったりもするし、そういう考え方をするのもまた自由だろうから気にしない。

 

一番身近な存在で、ずっとそばにいて見てきたし、亡くなって知らなかった部分を知ったりもして、もちろんその人生の全部ではないにしろ、半分以上を一緒に生きて、なんというか、おかんという1人の人間の人生をすっぽり丸ごと受け取ったような感じもある。

途方もなく感じるような長い時間なのに、すごく短い感じもして、これが人生の真理なのかねぇとか思ったりもする。

 

おかんの魂をリアルに感じ取れるかというと、残念ながらそういう能力は持ってないらしい。

 

でもどこかにいるんじゃないかって思いはずっとあって、自由になって存分に芸術を楽しんでるんじゃないか、みたいな気はするし、全然別のことをしている時に、ふいに今どこでなにしてるんだろう、とか思うこともあるw

 

亡くなった直後から、おかんの魂というか、意識そのものは体と別にあるって感覚があって、体は体、おかんそのものじゃない、と自然に感じてた。

もちろん、体がただの容れ物って感じじゃなく、おかんとして存在してくれた?大切なもので、とても愛しくて、今まで動いてくれてありがとう、お疲れ様、みたいな不思議な感覚だった。

 

通夜だったか告別式だったか、和尚様が、やさしくふんわりと合掌してください、その手の中にお母様の魂を包むように、みたいな時間があって、それはそれは暖かな、ありがたい体験だったな。

 


 

一番身近な存在だっかからこそ、死んではいそれまでってことにはならなくて、色々思い出したり、想像したりする。

死後の世界はあるのかとか、生まれ変わることはあるのかとか、それこそスピ系な話は、テレビや本で見たり読んだりするのは面白いけど、実際どうなのかなんてまったく分からない。

 

現実としてただおかんはこの世からいなくなって、この手で触れることも話すこともできなくなった。

それを人間界では死と言う。

 

この世界にはもういない、自分の中にあるのは思い出だけ、自分の作り出してるおかんだけ、そういうことをしっかり認識して、区別してなお存在感を感じても、人間界ではそれは生きてるとは言わないことになっている。

 

死って一体なんなのさ、生きるってなによ、人生って?人間て一体なんなのよ、そんな答えのない問いの中をうろうろするのはきりがないんだけど、おかんの死によって新たな謎が増えてしまった気もしている。

 

死ぬまで分からないだろうし、死んで分かるのかどうかも分からないし、分からない問いを探し続けてるんだから、人間なんてそもそも訳が分からない。

 


 

ずっと気になってることがある。

 

亡くなる前の最後の晩、苦しそうなおかんの手をいつものように握ったんだけど、いつも軽く握り返したり、そのまま握られてたりするところ、その時だけちょっと避けるような、押し返すような素振りを見せた。

結局その意味は分からず終いで、あの素振りはなんだったんだろうなと。

 

ただ単に鬱陶しかったのかなとも思うんだけど、もう行くからあんたしっかりやんなさい、ってことだったのかなあとも思ったりする。

 

それもまた、自分の勝手な思い込みではあるんだけど、まあそう思うこともまた自由かなと。

 

もちろんいつかまたもう一度会ってちゃんと聞きたいなと思うんだけど。

 

 

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