野生は生きている。伝統、文化は生きているか。

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都会のカラス、でもカラスはカラス

 

あかねさんの朝の散歩中、道路の真ん中に”何かの肉塊”があった。

 

可哀想な話だけど、車に轢かれたんだろう。

“何かの”というのは、最初はやっぱりネコかと思ったんだけど、ちょっと小さかったこともあって、ネズミかな?と一瞬思ったから。

 

町中で普通に暮らしていると、ネズミなんて見ることはあまりないけど、早朝散歩しているとゴミ置き場を漁るネズミを見ることはしばしばある。

何気に最近ウチでは出て大騒ぎになったけどw

 

そしてその道路にある何かの肉塊を、カラスがついばんでいた。

カラスにしてみれば、新鮮な生肉ってことになるんだろうか。

おぞましい光景ではあったけど、都会のカラスもやっぱり野生なんだなと、なんだかちょっと関心した。

 

こんな都会のアスファルトの上じゃ死んでも土に還るなんてことはありえないし、それならいっそ同じ野生同士、カラスの胃に収まるのは都会の中の自然の営みのようにも思えた。

 

それにしても、いつからこんなにカラスが増えたんだっけ?

 

子供のころ、と言ってももう3、40年も昔にはなるんだけど、カラスが鳴いてると「誰か死んだのかもね」とおかんが言ってたのを思い出す。

カラスは死んだ人の上を飛ぶってことらしかった。

 

今考えてみれば、いやいや、昭和の時代だよ?
死んだ人のいる家の上をカラスが飛ぶとか、ないでしょw
とは思うんだけど、

そういう風習?とか、言い伝えみたいなものは、生きていて欲しいなと思う。

 

徐々に失っていってしまうもの…

今でもよく覚えてるのは、おかんがトイレのことを「ごふじょ」と言ってたこと。

 

それが「ご不浄」のことだと分かったのは随分後になってのことだけど、その時にはもう、おかん自身、そんな風に言ってたっけ?って忘れてた。

 

ウチは裕福ではなかった様なので、結構な年齢になるまで和式便所で、バキュームカーが吸い取りに来てたし、もちろんトイレットペーパーではなく、四角い「ちり紙」だった。

 

いわゆる「汲み取り屋さん」を子供の頃は言葉の響きから「うんそうやさん」だと思ってたw

そんな「うんそうやさん」が吸い取った後に便器の上から水を流すんだけど、その時の何とも言えない強烈な臭いもよく覚えてる。

 

今はすごく清潔で、いい匂いさえ漂ってたりするけど、なんというか、格が下がった?と思ってしまうのは気のせいだろうか…

 

臭くて暗くて汚くて不気味な場所ではあるけれど、それだけに綺麗にしなければいけない、畏怖の念みたいなものがあって、神様に失礼だから便所で咳をしちゃいけない、なんてことも言われたものだ。

子供のころの記憶だけに、今でも咳払いはしないし、うっかりしてしまった時には「ごめんなさい」なんて心の中で謝ったりするw

 

子供の頃はそういう昔からの言い伝えとか、おばあちゃんの知恵的なことをよく聞いたんだけど、すっかり忘れてしまっているし、言った当人だって忘れてしまっている。

どんどん便利になって、どんどん新しくなる場所に生きていれば、わざわざ古い教えなんて伝えることもなくなって、廃れてしまうのは自然なことだろうなと思う。

 

最近日本文化が見直されたり、田舎や伝統工芸が注目されたりするのは、日本人的遺伝子みたいなものもあるのかもしれないけど、「大切なものは失ってはじめて分かる」的なことなのかな?とも思う。

 

経験している者も、もっと若い世代も、そういう危機感みたいなものをなんとなく肌で感じて、絶滅危惧種の動物を守るみたいに綱渡りの状態をゆらゆらしてるのかもしれない。

 

「元野犬」のあかねさんはすっかり「家犬」になってしまったようだが…
あかねの画像

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