なんじゃこりゃああ!!
めちゃくちゃ面白いじゃないかぁぁあ!
あぁぁ!なんてこった!ちくしょー!
いやちょっと、待て!落ち着け!
そうだまず落ち着こう (;´Д`)ハァハァ
という訳で、たっぷり時間をかけて存分に思いの丈を書き綴ってみたw
思い込みと裏切りと…
11月12日は↓ライブだったので、テレビ放映された映画「シン・ゴジラ」は録画しておいて、先日やっと見た。
映画「シン・ゴジラ」ちょっと衝撃的な面白さだった…
2日続けて見て、まだ見たくなる映画って自分の中では今まで存在しなかった気がする。
もちろん何度も見たくなる映画はいくつかあるけど、2日連続で見てもさらに続けて見たくなる映画、それが「シン・ゴジラ」だった…
実はこの映画「シン・ゴジラ」、今回はじめて見た。
なんで映画館で見なかったのか、後悔が激しすぎて死にそうだった。
もちろんゴジラは大好きだ。
でも、いわゆるゴジラオタクではないし、映画となると…
あくまでも個人的な感想を言わせてもらえば、ゴジラ映画は何度も裏切られた感がハンパないというか、包み隠さずはっきり言えば、大抵チープで、つまらなくて、情けない思いになってきた気がする。
だから今回もつい足が遠のいてしまってた部分はある。
何となく耳にする噂も「人間ドラマ」?とか「CGを駆使」?とか、そんな部分ばかり聞こえてきて、チラッとゴジラ幼生?(蒲田くんと言うらしいw)のCGとかも目にして、「またかよ…」的に先入観を持ってしまったのだ。
自分が見たいのはもっと恐ろしい、だからこそかっこいいゴジラであり、
その巨大怪獣が暴れる、人の手で精巧に作りあげられたミニチュアの世界。
でも、今回もきっと大したことないんだろうと早々に”諦めて”しまってた。
でも一番大切な、一番肝心なところを忘れていたのだ。
それはもちろん庵野秀明が監督、そして樋口真嗣とタッグを組んだ作品だということ。
そして、その2人の特撮に対する愛情は「特撮博物館」で存分に感じて、知っていたたはずなのに…
ああ、裏切ってしまったのは自分だったのか… orz
しびれた。とにかく。
驚いたのはそんな衝撃的に面白かった映画「シン・ゴジラ」だけど、AmazonのDVDとかのカスタマーレビューを見ると星1つが結構多くて、酷評してる人も多いということ。
やっぱり人の意見は聞いてみないと分からないもんだなあと。
まあそれはそれとして、個人的な感想を思いっきり書いてみたい。
まず、庵野さんということで、やっぱりどこかエヴァ的な雰囲気はあって、そこを考えないようにするとかはもう無意味だと思う。
そもそも論的な話で、これは ”庵野秀明が作ったゴジラ映画” なんだから。
ゴジラはドキュメンタリーじゃなくて、人が作る映画なんだから、乱暴なことを言えば、作る人のゴジラに酔えるかどうか、もっと言えば作る人に酔えるかどうかだと思う。
で、それを踏まえた上で、庵野さん自身がオタクだから?だろうか、とにかくカット割りがオタク心をくすぐる感じでめちゃくちゃかっこいい。
そして散りばめられた音楽も素晴らしいと思う。
そのシーンを何倍、何十倍にも魅力的に魅せてくれる。
新しい「シン」ゴジラだからと言っても、音楽まで全面的に新しい物に変更してしまったら全然違うものになってしまった気がする。
ゴジラ愛かどうかは分からないけど、どうしても外せない、恐らく日本人の多くがピンとくると思われる「これがゴジラ!」という音楽がある。
それは今聞くと決して新しくはないんだけど、その野暮ったさもまた絶対にゴジラにかかせないと思う。
そういう野暮ったいけど絶対的なものを、絶妙なところで入れてくる。
そして個人的に何より衝撃的だったのが目黒の夜w
ゴジラが ”覚醒” して地獄のような光景が繰り広げられるシーン。
この光景と流れる音楽が相乗効果でまさに壮大なスケール感を創り出していて、神々しくもあり、禍々しくもあり、かっこよくて恐ろしい、まさに見てみたかったゴジラそのものだった。
というより、想像以上の恐怖感や不安感、そして絶望感が重くのしかかるようでぞくぞくした。
(出典:YouTube 東宝MOVIEチャンネル)
美しくも恐ろしいこんな光景を映画館の大きなスクリーンで見たら、本当に恐怖を感じてたんじゃないかなと思った。
狙いを想像してみることの楽しさ
先入観としてあった「人間ドラマ」の感じは想像してたのとは全然違ってて、良い意味で裏切られたのも個人的には良かった。
妙な人間ドラマとかお涙ちょうだいとかは、とてもじゃないけど見てられないと思うからw
石原さとみが酷評の標的にされてる様な部分があるけど、これも個人的には全然嫌じゃなかった。
というか、製作側はもとより、女優として様々な作品に関わってきた石原さとみ本人だって、その役柄上英語が堪能でなければ叩かれるのは容易に想像ができたはずで、相当なプレッシャーでもあったはず。
それでもこの存在感が出せたのは石原さとみだからなんじゃないかなあと思う。
演技の実力なんて全く分からないから、素人目線だけど。
庵野さんが求めていたのがどんなものかは分からないけど、全体的なリアルさは保ちながらもキャラも立てるというか。
色んな意味で惹きつける魅力を持ったキャラの存在は物語の要素として重要なパーツの一つだし、だからと言ってアニメまで偏らないギリギリのところ、そういう点から見たら「現実 対 虚構」というキャッチコピーを体現しているキャラだとも言える気がする。
なんというか、要はリアルさをどこに求めるのかみたいな感じだろうか。
細部まで完璧に再現することが必ずしもリアルじゃなかったりすることもあるし。
(出典:YouTube 東宝MOVIEチャンネル)
リアルかそうでないかの部分で言えば全編を通して言えることで、本当の危機管理的な部分って、「ふざけんな!」と感じる様な実際のやり取りでも、客観的に見たら意外とこんな感じなのかもしれないなあと。
滑稽というか、どこかコミカルというか。皮肉も込めて。
その辺りの境って意外と分からないんじゃないかって気がする。
そして酷評のもう一つの要因とも言える?セリフ関連の部分。
これに関しても個人的には「上手い!」と勝手に関心した部分でもある。
大量のセリフを時間内に収めようとした結果、こんな方法しかなかった、みたいなことを言う人もいるけど、個人的にはそれは違うと思っている。
もちろんセリフに「説明」「解説」みたいな情報としての意味はあると思うけど、それなら間違いなく叩かれるだろうこんな方法をとる必要なんてない。
畳み掛ける様な早いセリフ回しは、変な言い方をすれば、セリフとして捉えようとするから苛立ったりするんじゃないだろうか。
もちろん見る人によってその情報の重要性は変わるだろうし、理解力や理解するスピードも様々だと思うけど、政府内の面々のやりとりしかり、巨災対チームのやりとりしかり、どちらにしても難題だから、理解しようとする方向に脳ミソは動くはずだ。
でもそういうものを映画内で分かりやすくしっかり描こうとすれば、だらだらと退屈な展開になってしまって、急を要する現場のスピード感、緊迫感が損なわれると思うし、体感しているようなライブ感みたいなものもなくなってしまうと思う。
そうなると最早主旨が変わってきてしまう。
かと言って最初からそういうものを丸々はしょってしまうのも、リアリティを出すには辛い。
だからその重要だけど退屈になりそうな部分を、あえてこうして矢継ぎ早に棒読みの様なセリフで畳み掛けることで、どこか面白おかしくエンタテインメント的に見せると同時に、半ば強制的に頭を切替えさせる。
何が語られてるのか、何でこんなに棒読みなのか、何これ面白い、え?でも、おい!ちょっと待て!え!?何!?何!?何!?って理解が追いつかなくなる。
そういう混乱の中で頭がプツッと切り替わる。
つまりは理解しようとする思考ではなくて、”情景”のように捉えるような?
超速で表示される数字を暗算する子供達のような(といっても彼等の脳がどんな風になってるのかは分かるはずもないけどw)イメージ的には「左脳ではなく右脳」的、理屈とかをすっ飛ばして直接叩き込むような感じだろうか。
現実世界であっても、自分が見ているほんの少しのその裏で膨大なやり取りが日々行われてる訳で、それらはもう感覚として分かるだけで理解なんてできるはずもない。
同じように「未知なる巨大生物にどう対応するか」の架空現実の大きな流れの中で、随所に多数描かれる様々なやり取りの一つ一つをパーツとして捉えつつ、同時に高い視点から俯瞰的に全体を理解する感覚。
それが「現実 対 虚構」じゃないけど、リアルとバーチャルを行ったり来たりするような濃密な時間軸を作っている気がした。
自分にとっては幸いなことに?あまりにも分からなすぎてストレスがたまるギリギリのラインだったこともあって、エンタテインメントでありつつ緊迫感が増すような面白さを感じられた。
それが庵野さんの計算だとしたらすごいと思うけど、その辺りは個人個人で捉え方が違うだろうから勝手な思い込みだろう。
ただ、「ゴジラ」という「国民的映画」だということを考慮したんじゃないか、エヴァの感覚で作ったらとても理解不能だったんじゃないか、押井さんだったらそれを絶対押し通したんじゃないかw、とか勝手に想像してみるのも楽しい。
そしてエンタテインメント性、キャラ色、みたいな点から見ると、巨災対チームのオタクキャラ的な要素を高めるのにも十分な材料となってる気がした。
日本人の日本人による日本人のためのゴジラ映画
今回の映画「シン・ゴジラ」で拍手を送りたいのは、すでにゴジラありきの世界じゃないってこと。
何と言ってもお約束みたいなこの「ゴジラがいる」という設定がチープさを感じさせる大きな要因だと思ってきたから。
ゴジラマニアがどういう風に作品を捉えているのかは分からないけど、個人的な感想からすれば、ゴジラ映画と言ったって、最初からそれじゃあまりにも芸がなさすぎる。
そういうテッパンというか、様式美が見たいなら別だけど、自分の場合はそうじゃない。
この「シン・ゴジラ」では突然現れた未知なる巨大生物に戦争兵器で対抗する。
もちろん現実的に考えればそれしかないはずで、都合よく超兵器なんてあるはずないし、突如襲ってこられて急遽作るなんてそれこそありえない。
作ってる間に壊滅するw
人間同士が戦う道具で、ある意味自然災害みたいな理不尽な超巨大生物と戦う姿は滑稽でもあるんだけど、だからこそ知恵を駆使して戦う人間の存在感も増す。
これはもちろん大災害に度々見舞われる日本に対してのメッセージだと思うし、そういうものを乗り越えて強くなってきた、というラスト近くの赤坂の言葉にも現れてると思う。
理不尽で不条理な世界だけど、そこで生きていかなくちゃならないし、その術を探していかなくちゃならない。
ゴジラはもちろんこの映画の主役で、日本人、いや人類にとってあまりにも圧倒的で驚異的な存在。
「霞を食って生きる仙人」「水と空気があれば生きていける」「1個体で進化を繰り返す」そんな超越的な存在でもあるんだけど、それに対する余計な感情移入みたいなものは排除して、あくまでもただの未知なる巨大生物として描かれてる。
ある意味「神」のようなゴジラを、崇めるでもなく、畏怖するでもなく、諦めずに立ち向かう人間たちの様子に焦点が当てられてるからこそリアリティがあって、逆説的にゴジラの存在感も増す、そんな構図になってる気がするし、もちろんそれはとてつもない自然災害に見舞われた日本人の姿に重なる。
自然がもたらす大災害に被害を被っても、それに負けずに立ち向かって前に進み、同時に八百万、万物に神が宿るという根底にある精神性みたいなものはなくすことなく、海や山に感謝しさえする。
海外の反応とかがどうなのかは分からないけど、この「シン・ゴジラ」こそ日本人の、日本人による、日本人のための、ゴジラなんじゃないかな?と言ったら言い過ぎなんだろうか。
特撮を愛する者達の魂ここに結実?
映画「シン・ゴジラ」のゴジラはキグルミ一切なしのフルCGだそうで、CGを使ってはいるだろうけど、全てがCGだとは思わなかった。
(出典:YouTube 東宝MOVIEチャンネル)
CGにある一種の違和感みたいなのは全然感じなかった。
もちろん狂言師の野村萬斎がモーションキャプチャーを担当したなんて分かるはずもなくw
さすがに「蒲田くん」はCG感丸出しだったけどw
それよりも「あぁ、分かる!」的な部分が随所にあったりして、そういう部分に引きこまれた。
例えば鎌倉に「鎌倉さん」が襲来した際、民家の屋根瓦が「ガガガガガガ」みたいに揺れるシーンがあるけど、こういう揺れ方って言われたら何か分かる!みたいな感じw
ゴジラが歩いてズドーン!ガシャーン!は分かりやすいし、見た目も派手で映えるかもしれないけど、実際でかいものって全然動いてない様な時でも細かい振動がすごかったりする。
恐らくこれだけ巨大な生物だと、空中で尻尾が動いただけで空気の振動ですごい揺れるんじゃないかなあとか想像が膨らむ。
そしてゴジラが火を噴く前後の炎の様子も、ガスバーナーとか溶接の炎ってこんな感じだよなあとかw
そういう細かいディテールがすごい楽しめる。
そんなフルCGのゴジラではあるけど、wikiを見るとこのフルCGのゴジラのデザインはなんと竹谷隆之氏に任せられたらしい。
そう「造物主」「神」竹谷隆之さんだ。
庵野秀明、樋口真嗣、竹谷隆之、とくれば、冒頭でも触れた「特撮博物館」で上映された「巨神兵東京に現わる」ですでにタッグを組んでいる仲だ。
もちろんこの映画「シン・ゴジラ」の目黒の夜とかを見ると「巨神兵東京に現わる」とかぶる印象はありありなので、あることが気になっていた。
それは「巨神兵東京に現わる」の時点で映画「ゴジラ」の話が庵野さんに来ていたのかって部分。
仮に「巨神兵」の時すでに「ゴジラ」の話があったのなら、「巨神兵」で試した、試金石になったような部分もあったのかな?と思ったから。
つまり「ゴジラ」ありきの「巨神兵」だったのかな?ってこと。
でもwikiを読んでみると
2014年公開の『GODZILLA ゴジラ』の世界的な大ヒットを受け、日本製ゴジラの製作が決定した。総監督・脚本には庵野秀明、監督・特技監督には樋口真嗣がそれぞれ起用された。当初、庵野はオファーを固辞していたが、東宝の誠意と樋口の説得を受けて「一度きりの挑戦」として承諾した。
とある。
「特撮博物館」が開催されたのは2012年のことなので、やっぱりこの時点ではまだ監督の話は来てなかったことになるだろう。
『GODZILLA ゴジラ』さえ上映前なんだから。
「特撮博物館」はまさに特撮への思いに溢れたものだったし、そこで上映された「巨神兵東京に現わる」はそうした特撮に関わってきた多くの職人さんたちをリスペクトして、CGなし、それこそ巧みな職人技で作られたミニチュアやアイデア、カメラワークの妙で作られた作品だった。
きっと東宝のゴジラ関係者?も「特撮博物館」は見てるだろうし、前述したように「シン・ゴジラ」では「巨神兵東京に現わる」のスケールをさらに大きくしたような描写を見せられているような感じもある。
その辺のもろもろの流れを考えていると、全てはこの映画「シン・ゴジラ」に結実するためにあったのかなあとか、勝手に感慨深くなったりするw
もうここまで来たら、この大ヒットを記念して?庵野さん念願の「特撮博物館」を常設博物館にするって思いを東宝さんが受け入れて、力になってくれればいいのに…
どんどんデジタル化している中で、アナログが見直されてきてる今なら、その価値は十分にあると思うし、「ゴジラサイド」にだって美味しいと思うし。
資金が足りなかったらリバイバル上映したら、同じように映画館で見なかったことを後悔してる人がたくさん集まるかも! (;・∀・)
(わがままな言い分… orz)
(出典:YouTube 東宝MOVIEチャンネル)
庵野秀明が庵野秀明たる所以?
そんな訳で、めちゃくちゃ面白かった映画「シン・ゴジラ」、最後のシーンにちょっと思わせぶりなところはあったものの、さすがにというか、エヴァみたいに哲学的?な部分はなく、一気に見終わって、変な言い方だけど拍子抜けするような所もあった。
でもそこはそれ、やっぱり庵野秀明ということでw
確かに見ている最中「?」と思う部分はあるんだけど、息をもつかせぬ展開で最後まで見せられるから、そういう部分にかかずらう必要がないというか、ヒマがない?
でも、少しクールダウンしたところで思い返してみると、最後の人の形をしたナニカはもちろん、「ヤシオリ作戦」の「ヤシオリ」って何?「ヤシマ作戦」もじってるの?とか、「アメノハバキリ」って何かソレっぽい単語じゃね?とか、このままじゃ羽根が生えて飛び回る可能性もあるって言ってなかった!?
とか、色々と出てくる。
そしてネットをうろついてみると…
出るわ出るわ、ネタバレ、妄想、曲解、新説・・・ 「なるほどぉ!」と思うことや「いやいやいやいや」みたいなものなど、これでもかとw
こうして本編の後も色んな形で楽しめるのも庵野秀明作品ぽくて面白い。
なんにしても、「つまらなかった」とか「損した」、「こんなのゴジラじゃない」とか思う人も多くいる中で、こんなに楽しめて、心底「面白ぇー!」と思えたことがすごく幸せだと思った。
そんな幸せを今さら味わっているおめでたいヤツな訳だが…
(;´∀`)「
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