おかんの古いミシンを練習して自作「HKマスク」を作りまくった話とか

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前回手縫いで作った「HKマスク

 

 

大きいので一回り小さいのを作ってくれと言われたり、おとん用のも作らないとと思ってたんだけど、さすがに前回の手縫いの時の手順をまた踏むのもなかなか面倒に感じてた。

 

そうなるとやっぱりミシンってことになるんだけど、そこまでするか?みたいな気持ちもあり…

でもなんとなく自然とそんな流れになって、結局ミシンを練習して、HKマスクをたくさん作ったので、今回はそのあたりのことを。

 

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おっさんがミシンを覚えることになった流れ

「ミシン?ミシンかぁ… 今さら覚えるのかぁ? しかもミシンって…」

とかウダウダ考えつつ、オカンの遺品整理というか、いらないもの処分で片付けとかをしていて、たくさんの本や、描いた絵、それ以外にも大量に出てくるものがあった。

それは布のハギレだったり、毛糸やレースだったり、その他糸やら縫い針やら、そういうお裁縫の道具。

 

晩年は薬害からくる手のシビレなどもあって、細かいことや編み物、お裁縫もできなくなってしまってたけど、スカーフの縁をクルクルっと巻いて縁取り?をする仕事をずっとしてたり、セーターやらあみぐるみ?やら、ビーズやら、とにかく日常的にそういうことをする姿を当たり前に見てきた。

そういう何かを作ることの楽しさを、自分も受け継いでるんだと思うけど。

 

どうでもいいけど、何かを作る時や絵を描くときは夢中になって没頭してしまうので、気がつくといつも台の上がこんな風にめちゃくちゃだったりする…(T_T)

 

で、もちろん捨てるって選択肢は最初からなくて、ヤフオクとかメルカリとかで売ろうかなと思ってた。

自分含め、ものづくりをする人は、そういう材料に大きな価値を置いていると思うので。

 

なのでとりあえずマスクを作るようのハギレだけ確保しとこうかなと思ってた時に、せっかくならヘルパーさんやら訪問看護の方やら、お世話になった人にマスクを作ってあげたらどうだろうと思いついた。

オカンは律儀で几帳面な人でもあったし、オカンのハギレや道具とかを使えば、オカンからのお礼の気持ちとしてもいいような気がした。
(本人にしてみればもっといいもの作れるのに、って思うだろうけど)

 

そんな訳で、たくさん作るならやっぱりミシンだろうなってことで、自然にミシンをマスターする理由もできたという流れ。

 

結局ちょっとした手違いでお世話になった方達の元には届けられなかったんだけど、誰かが使ってくれればまあ良しとしよう。

 

年代物のミシンに呆然、そして感動?

という訳で、自身ものすごい久しぶりだと言う姉にミシンの基本を教えてもらうことに。

第一印象は…

「(゚Д゚)ハァ? まじですか? ミシンってそんなにめんどくさいもんなの!?」

って感じw

 

家にあったのは「ジャノメ エクセル20」という30年以上前?の古いミシン。

 

子供の頃はまだデカくて最早家具じゃん、みたいな足踏み式のミシンがあった。
足踏みが面白くて遊んだりしてたので、それに比べれば全然新しいとは言えるんだけども…

 

最近のミシンはどうなのか分からないけど、最初の糸の取り回しの段階ですでにすごいめんどくさくて、「これ覚えられるのか…?」と先行き不安に…

ただこのミシン、発売当時かなり流通したみたいで検索をかけるとかなりヒットして、蛇の目ミシン工業株式会社のWebサイトでは取説もダウンロードできる。
これがものすごく助かった。

 

 

とは言え、とにかくまずはやってみないことにははじまらないってことで、オッカナビックリ試し縫いw

足踏み式ミシンを継承してってことなのか、スピードコントロールは足でするんだけど、この感覚もめちゃくちゃムズい!

 

とにかく練習を繰り返しつつ、あらためて取扱説明書を見てみた。

そこでようやく暗号のような、象形文字のような、なぞの記号の群れの意味が分かったw
要するにボタンと4つのダイヤルを駆使して様々な縫い方ができるという…

横のカバーをパカっと開けるとそこにもダイヤルが!

これが理解できると、考え方はガラッと変わって、なんというか、感動?して、このミシンを作り出した人たちを心底尊敬してしまった。

 

普通にミシンを使ってる人たちにすれば「何を大げさな」って感じだと思うけど、ダイヤルやらボタンやらの色んな組み合わせ方で、これだけ複雑な縫い方を実現してるのかと思うと、この小さなミシンが「テクノロジーの集大成」みたいな偉大な機械に見えて、単純に「これすげぇな!」としびれた。

 

おかんはこのミシンを手に入れた時どんな風に思ったんだろう、色んな縫い方がこれ一台でできるってすごい嬉しくなったんじゃないのかな、そんなことも想像して、なんとなく気持ちを共有してるような感覚も持ちつつ、カタカタと練習したのだった。

 

毛糸を使って三つ編みのヒモを作ってみたりとか

ハギレ以上に大量にあったのが毛糸。

下の画像はほんの一部

 

この毛糸もHKマスクの頭に回すヒモ部分に活用してみようかと、種類を変えて三つ編みのヒモを作ってみたりした。

 

ミニチュア籐椅子の時、それに関連してマクラメ編みとかをちょっとやったりしたこともあったので、三つ編みみたいな”ヒモワーク”自体は簡単だったんだけど、すごく時間がかかってしまうのも事実。

 

作ったマスク分のヒモを作るとなると、いつになったら渡せるのか分からなくなるので、三つ編みバージョンと、普通のまとめ&結び目バージョンとで妥協することにしたw

 

 

好きなものを選んでもらう、という形で渡そうかなと。

 

「誰かのため」「自分のため」というエネルギー

という訳で、Lサイズ10枚、Mサイズ15枚と、ヒモが28本(だったかな?)をなんとか作った。

 

正直途中で「なんでこんな大変なことやってんだろう…」みたいな気持ちがかすめることがあったり、「修行かよ…」と心折れそうになったりしつつ…

こういう気持ちを乗り越えられるのは、完成後の充実感というのはあるんだけど、やっぱり一番は「誰かのため」というエネルギーなんじゃないかと思う。

 

絵を描くのも、ものを作るのも、「誰かのため」ってのはモチベーションになる。

それは別に、イコール「良いことをしよう」ってことじゃなく、「喜んでくれるかも」とか「驚いてくれるかも」とか、そういう子供みたいな想像力だけで十分に前に進める。

 

今回のように「おかんがお世話になったお礼」とか目的がよりはっきりしてる場合は、途中で投げ出さずに済むエネルギーになる。

今回の場合はもっと言うと、親孝行の一つもしなかった自分のためでもあったし。

それだけにお世話になった人に渡せなかったのはとても残念というのが本音ではあるんだけど。

 

いつぞやの番組で、コロナ自粛の中「たまり場」みたいになってるパチンコから出てきた人にインタビューしているのがあって、「自分の体だから自分がどうしようが勝手だし」みたいなことを言ってる人がいた。

そりゃ一人でかかって一人で死んで消滅するならいいのかもしれんけど、そうじゃないでしょ?とか思うと同時に、自分の思うように動いてくれる体のためにこそ、そんな考えはやめた方がいいんじゃないかと思った。

 

それは、おかんの癌が進行して、体調がどんどん悪くなって、体が思うように動かせなくなっていく姿を見ていたから、より実感としてあった。

きっと苦しく、痛く、しんどかったに違いないし、不安だったに違いないし、もどかしかったに違いないし、悔しかったに違いない。

 

「誰かのために」ってエネルギーは、結果として自分に向けるエネルギーでいいと思うし、自分の体が自分の意思通りに動いてくれるってことを、もっと大切にするべきだと思う。

 

体大切にして、もっと色んなものを作ったり描いたり書いたりしていきたいと、つくづく思っている今日このごろ。

 

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