ものを捨てられない人はたくさんいると思う。
で、その理由も人それぞれだと思う。
最近では一つの病気として「溜め込み障害」とか「強迫的ホーディング」「ホーディング障害」なんて言葉も聞くようになった。
まあそこまでの人はいわゆる「ゴミ屋敷」みたいになってしまうようなので、そうそうはいないと思うんだけども。
ストレングスファインダー
以前「さあ、才能に目覚めよう」という書籍を購入した際、「ストレングスファインダー」診断を受けた。
この「ストレングスファインダー」というのは、その人の上位5資質を導き出して、考え方や行動の指針みたいなものを探ったり、利用したりするものなんだけど、上位5の資質以外で近くてかすった?ものに「収集心」というのがあった。
この説明の中で個人的にとてもしっくり来た部分がある。
ざっくり書くと
「保管する時点ではいつ必要とするかは分からないが、あらゆる利用の可能性を考えているあなたは捨てることに不安を感じる。だからものや情報を手に入れ、集め、整理して保管し続ける。それが面白く、心をいきいきとさせる。そして恐らくある日その中に役立つものが現れる」
そんな感じの部分。
自分を含め、ピンとくる人もいるんじゃないだろうか。
例えば本であれば、その本の内容全部でなくとも、すごく心に刺さる一節があって捨てることができない。
その時すごく感動して、しばらくすると忘れてしまったりするのだけれど、ある日ふいにその一節を思い出して、読みたくてどうしようもなくなる。
そうなるともう、その一節が見つからないと何も手に付かないほどになってしまったりする。
そういう経験をしているとどんどん本が溜まっていく。
ビブリオマニアというのとはちょっと違うんだと思う。
「作る人」には不用品も宝に見える
ものが捨てられないって場合はこれまた人それぞれ理由はあると思うんだけど、「作る」ことが日常になってる人は捨てられない人が多いんじゃないかなあと思う。もちろん自分含め。
日常的に色々と作り慣れてる人は、プラモデルとか “なんちゃらキット” とかのように説明書がなくても、頭の中でイメージして「こんな感じ」で作る人も多いと思う。
そうなると、そのイメージに合う部品、パーツが必要な訳で、もちろんホームセンターやらに行って買うってこともあるけれど、うまく合わないとか、どうもしっくりこないって場合に今までの記憶を辿って「あれのあの部分使ったらうまく合うんじゃね?」というのがパッとひらめいたりする。
この時の感覚はなかなか刺激的で、さらにそれがバッチリハマった日にゃあ、頭ん中でドーパミンやらエンドルフィンやらがブシュブシュ出て耳から溢れ出すんじゃないかってくらい気持ちよかったりする。
逆に合わなかったりすれば「(´ε`;)ウーン…」て感じになる訳だが、問題なのはその状態にさえなれない時。
つまりは取っておこうかどうしようか迷ったんだけど、捨ててしまってもう手元にない時。
この時の悔しさとか後悔とかを味わったことがある人は、多分なかなかものを捨てられなくなると思う。違う?
前述のストレングスファインダーの「ある日その中に役立つものが現れる」経験が多いからこそものが溜まっていく。
作るのが得意な人は隠すのも得意?
そんな訳で、ある別の理由もあるんだけれども、断腸の思い(言い過ぎ)で溜まりまくってしまったものを捨てまくっている。
すでにゴミ袋20袋以上は捨ててると思う。
んだが、全然減ってるように見えない…。
もちろん粗大ごみクラスのものも多いってのもあるんだけれど、ここで「D.I.Y好き」とか上で書いた「日常的に作り慣れてる人」のジレンマ?もあったりするかもしれない。
DIY趣味の人とか、日常的に作り慣れてる人は日曜大工的なことも月曜〜土曜大工も加わって、終日大工的な感じになっている。
ヨッコイショと作る感じではなく、ご飯食べたりお風呂入ったり作ったり、テレビ見たりネットやったり作ったりしてるのだ。
そんな風だから、「置く場所がない?作りゃいんじゃね?」って感じで気楽にこしらえて、色んなすき間やスペースを発見しては棚やら扉やらが増えていったりする。
結果的に内側がカオスでもパッと見とても整理されてスッキリしている。
それだけに、色々処分しようとして中身をいくら減らそうと、外見は全然変わらなかったりするのだ。
これが良いのか悪いのか分からないけれど、モチベーションは…そら上がらないわな…
という訳で、整理するのが上手いってのも、良い面ばかりじゃないよなあと思う今日このごろ。
反面、やっぱり何もなくなった空間というのはスッキリしていいもんだ。
まあ、ものの記憶も整理しとかないと「ある日その中に役立つものが現れ」た日が来てもすでに捨てちゃってて激しい後悔にさいなまれそうだけれども…
コメント