アートっぽいものや、絵を描くことはおかんの方の血が濃く出てる部分かと思うけど、作る系の方はじいちゃんやおとんの血が濃く出てると思う。
じいちゃんは凄く器用な人で、大工仕事やら料理やら、何でも一人でできたし、おとんは実際に芝が生えてくるプラモやら、屋台のプラモやら、神輿の模型やら、Nゲージ(鉄道模型)やら、楊枝細工やら、ボトルシップやら、サントリーのダルマに紐巻きつけて作るダルマ人形やら、とにかく色んな物を作ってた。
中でも、ちゃんと芝が生えるジオラマ(農家だったかな?)のプラモやら、Nゲージやらは好きだった。
子供はそういう「動く」ギミックが好きだし、個人的には空想?妄想?がどんどん膨らんでいくのを感じた。
血は争えない
「作るのが好き」というじいちゃんやおとんの影響以外に、おとんからは集める、コレクションする、みたいな資質?特徴?も色濃く引き継いだ気がする。
ガチャや本もそれをモロに反映してる感じで、まず本から入る、的に本が増えて、その後ものが増えていく。
この記事で紹介したみたいに、そろそろ限界(とっくに超えてる気も…)
クリックでデカい画像&スライド
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で、実はガチャケースの一番下にはおとんのバスや電車(自分の所で飾りきれなくなったらしい)が並んでいたり、
本もいっぱいある。
取敢えず「資料」には事欠かずに済みそうだが…
中でもこの2冊はお気に入り♪
Nゲージ引退?
おとんがNゲージをやってたのは自分が幼少期の一時期で、その後上で書いたように色んな物を作ってたんだけど、仕事を退職してから、何もせずにテレビばかり見てる日々が続いた。
見かねて、ボケ防止も兼ねて誕生日プレゼントに簡単なNゲージのセットをプレゼントして、それからまた少しやるようになった。
今あるものはその時に買ったり、集めたりしたもの。
その時にジオラマを2、3個作って、近くの学校の文化祭とかにも出してたんだけど、最近はまたやらなくなってしまって、またテレビばかり見てる。
どうやらもう売ってしまおうかと考えてるようで、「お前オークションとかできるの?」とか聞いてくる。
という訳で、取敢えずNゲージ関連のものを確保(面倒になって捨てられても後の祭りだし…)した。
ヤフオクはやるけど、売る気は今のところない。
と言うのは、
「もうやめちゃうの?なんで?」
と聞いた時、
「もうやってもしょうがない」
という答えが返ってきた。
それがどういう意味なのかはツッコんで聞かなかったけど、「もう老い先短いし…」みたいな雰囲気も少しだけ感じて、なんかちょっと寂しかったからだ。
なので、ちょっとしたものでも作って、今度はこっちから影響を与えてみようかとかも考えてたりもする。
ジオラマの魅力と「ハードルの高さ」
ジオラマはやっぱり空想、妄想入り乱れる夢の世界だと思うし、ガンプラはじめ、キャラモノを子供の頃よく作った。
そういうジオラマは作らなくなってしまったけど、やっぱりそういう「匂い」のするものが好きで、色々本を買ってしまうw
(どれもしびれる内容で、一冊づつ紹介してたら全然終わらないので、取敢えず表紙だけw)
↑芳賀一洋さんの作品集とHow-toが詳しく載ってるランドスケープクリエイション」
↑ミリタリ系のジオラマ作品集とドールハウス教材とか
↑TVチャンピオンで優勝した方の本と建築模型の専門書とかも
↑もちろんアラーキー氏の本とか、ちょっと変わったところで、紙の情景作品。こちらもTVチャンピオンの優勝者の方の作品集
「空回りする作りたい願望」を正常回転に戻そうと思った時に、最初に思いついたのはやっぱり情景もののジオラマだった。
そして情景モノのジオとなると、やっぱり鉄道模型やミリタリー系のものが花形だと思うんだけど、そこにはある種の「ハードル」みたいなものを感じてしまう部分がある。
情景として、風景として美しいなと、作ってみたいなと思うんだけど、電車や鉄道自体のこととか、戦車、戦争のこととかが全然分からないので、やたらに手を出せない雰囲気を感じてしまうのだ。
それって「ここにこれはないでしょう…」みたいな、分かる人には分かる「イタさ」だったり、場合によっては怒りを買ってしまう場合もある気がして、ちょっと気後れする感じ?
でも山田卓司さんはもちろん、最近はアラーキーさんも人気なので、そっち系がいいかなと思ったり、ガチャとかもミニヴィネットみたいなジオラマベースの方がかっこいいしとか、でもやっぱり電車が走るギミックも捨てがたいよなとか、
作る以前に、ここですでに空想やら妄想やらがはじまってしまって、全然前に進まないというマヌケぶり…orz
でも考えてるだけも楽しかったりもw
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