「しっかり聞いてもらわなきゃ困る」
あぶら汗にまみれた汚らしい顔を向け、男は告げた。
ロープで乱暴に椅子に縛り付けられた女は、身体中にべっとりと汗をかいている。
「ええと、どこまで話したかな・・・ああそうだ」
男は話を続けた。
「こんな報告を知ってるかい?人間の睡眠にはレム睡眠とノンレム睡眠の二種類があって、一晩にそれを四、五回繰り返すんだそうだ。
そして夢を見るのはレム睡眠中のほんの数秒、一秒にも満たないことさえあると言われている。
そこで、ある研究グループが面白い実験を行ったんだ。」
女は男を凝視しながら、聞き取れないほどの声でやめて、やめてと繰り返している。そんな女に一瞥もくれず、男は続ける。
「被験者がレム睡眠に入るのは見計らって、彼の手首に氷を置いたんだ。その冷たさに驚いて、目を覚ました彼に『何か夢を見ましたか?』と尋ねた。被験者の彼はなんと答えたと思う?」
男は血走った目で女の顔を覗き込んだ。
女は小刻みに震えながら、相変わらずやめて、やめてと繰り返している。
「被験者の彼はこんな話をしたんだ。
『嫌な夢を見た・・・。いや、最初は良かったんだ。平凡だけど、幸せに暮らしていた。
普通にある女性と恋に落ち、結婚した。
二人の子供も産まれて仕事も順調。特別なことはなかったが、とても幸せだった。
だが何か大きな失敗を冒して、会社をくびになった。その後は…
借金で一家は路頭に迷い、妻とも離婚。二人の子供と共に私の元から去っていった。
絶望した私は何も手につかず、酒に溺れた。
そして最後には自ら手首を切って自殺したんだ…
ナイフの氷のような冷たさと、流れる血のたぎるような熱さがとても印象的だった……』
とね」
女の震えは徐々に大きくなって、がたがたと音を立てはじめている。
「どうだい?面白いだろう?
彼は手首に氷を置かれたほんの数秒の間にとてもとても長い夢を見たんだ。
人間はほんの一瞬の間に、自分の一生分ものとても長い「夢」という物語を創りだすんだよ。」
男は焦点の合わない目と、いやらしい笑みを女に向けながら話し続けた。
「そこで僕はあることを思い出した。
人間は死ぬ時、走馬灯を見るように今までの人生を一瞬のうちに蘇らせると言うだろう?
似ていると思わないか?
夢の中では誰も、これは夢だなんて思っちゃいない。紛れも無い現実だ。
そう、被験者の彼だって目が覚めてはじめて夢だったと分かった。
それと同じことさ。
僕達が生きている人生、走馬灯のように蘇る一瞬の物語は、実はただの夢なのさ。
でも、だからこそ、今の僕達にはこれが現実なんだ。」
男の語気が徐々に強く、荒く、苛立たしそうになって行く。
「そうさ、いくら夢だからってひどいじゃないか!一体僕が何をしたって言うんだ!
お前だって分かるだろ!?もうたくさんだ!
こんな腐った世の中さっさとおさらばしてやる!
大丈夫さ、心配はいらない。そう、これはただの夢さ。
だから早く目を覚まさなくちゃ。」
男はどこを見るともなく、しかし満足そうに虚空を見つめ、恍惚の表情を浮かべている。
女は男のその異常で自分勝手な訳の分からない妄想に、漂う異様な空気に、そして自分の置かれている絶望的な状況に恐怖し、がたがたと震え、がちがちと歯を鳴らした。
「想像してごらんよ。素晴らしいと思わないか?
僕たちはこの『夢』と言う現実しか知らない。
でも実はどこかに本当の僕たちがいて、今は永遠とも思える眠りの中にいる。
目が覚めた時、そこはどんな場所だと思う?
どんな景色が広がっていると?
どんなものを食べて、どんな音楽を聞いていると思う?
待ってなんかいられないと思うだろ!?
そのためにも、何かショックを与えてあげなくちゃ!」
そう言いながら、男は女の横に置かれた机に向かった。
色々なものが乱雑に置かれた机の上を、鼻歌交じりにガサゴソと何かを探している。
床にものが落ちるのも構わず、かき回すように探す。
やがて、引出しの中を探し始めると、「んん」と小さく声を上げ、何かを取り出した。
女の目に映るその物体は、鋭利な銀色の刃をぎらぎらと輝かせていた。
女はそれを見ると一瞬身体を硬直させ、ぜえぜえと息苦しそうに呼吸をし、失禁した。
その絶望的な状況から逃れる術を見い出せず、口をぱくぱく動かし、必死に声を発しようとするが、恐怖にかき消された。
男は薄笑いを浮かべながら女に向き直し、後ろにまわる。
そして片方の手で女の額を押さえると、もう片方の手に持ったそれを女の首に当てた。
「大丈夫。僕もすぐに目を覚ますから。寂しくないからね。」
男はあぶら汗したたる汚らしい顔で女を見下ろす。
女は最後に残された力を振り絞るように声を発した。
「や…やめ…て…」
「やめてー!!」
次の瞬間、氷のように冷たい銀色が、女の首を横に走った。
「い…おい…おい!」
誰かに呼ばれて女は目を覚ました。
うっすらと目を開けると、垂れ下がった自分の髪と太ももがぼんやりと目に映った。
我に返り、びくっと顔を上げたその前に、苛立たしそうに女の襟首を掴む男が立っていた。
掴まれた女のシャツの襟首にはじっとりと汗が染み、たぎるように熱い身体にあって、首だけに氷のような冷たさを感じていた。
「しっかり聞いてもらわなきゃ困る」
あぶら汗にまみれた汚らしい顔を向け、男は告げた。
解説?
前回のショートストーリー『FANATICISM』と同時期に考えたショートもの。
元々はイラストを送ってた小冊子に、イラストの代わりに送ってみようと思ってたものだけど、結局そのままになってたので、今回ちょっと手直し?して記事にしてみた。
というのは、あまりにもありがちな感じだったので…
まあ、根幹部分がありがちなので、あんまり変化なかったけど… orz
でも文字数制限?とかがない分、なんか楽しかったw
ちなみに、もちろんストーリー内のような実験は行われてない(多分)し、夢のくだりも正確かは不明…
当時は今ほどレム睡眠、ノンレム睡眠って言葉もあまり有名でもなかった気がする。
でも ”睡眠” には悩まされることも多かったので、なんか面白いなと興味を持ったのと、夢を見てる時間は想像してるよりもずっと短い、みたいな記事を何かで読んだ。(気がするw)
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